やまとなでしこの品格をそなえた「はとバスガール」!!
やまとなでしこの品格をそなえた「はとバスガール」!!
工藤美保さん・遠藤はな子さん
社員総数1006名(2012年5月末現在)、そのうちバスガイドが170名。これまで在籍したOGも含めると3000名以上のバスガイドを輩出してきたはとバス。
毎年30人近くのバスガイドを迎える中で、今年も新たに22名の「はとバスガール」が誕生しました。
マスコミでも取り上げられる機会の多い、はとバスガールの人気の秘訣について、旅行新聞新社主催「第10回優秀バスガイド」として表彰された工藤さん、永年バスガイドのご指導にあたられてきた遠藤さんにお話を伺いました。
はとバスのバスガイド研修には、数百ページにもわたるオリジナルの教本が約20のエリア別にあり、新しい情報を取り入れるためのさまざまな工夫や取組が行われています。高校を卒業したての社員のために全寮制の女子寮があり、ここで最低3ヵ月間は全員が寝起きを共にします。その後には個室ワンルームも用意され、スタディールームなどの充実した研修施設のほか、4年で海外研修、5年で職変と呼ばれるキャリアアップ制度の導入、さらには「指導ガイド」「班長」「指導主任」「専門課長」など、将来のステップアップにつながる職制が用意されています。3年以上の勤務経験があれば、結婚、出産などで一度職場を離れた方でも、再就職して現場に復帰することもできるのです。
■バスガイドになったきっかけは?
- 研修センターでインタビューを受ける工藤さん
- 永年にわたりバスガイドの指導にあたってきた遠藤さん
教え子の数は1200名を超えるという
●工藤さん
高校3年生のときに、いざ就職ということを考えたときに思い出したのが、小学校の修学旅行のガイドさんのスタイルでした。面白く、そして楽しく私たちをリードしてくれたことを思い出して、この道に進みたいと思いました。
●遠藤さん
私は歌が好きだったので、楽しくできる仕事だと思いました。流行歌と異なり、その土地に根付く歌は、南と北ではまったく違うものです。それぞれの土地に行くときに、その土地に来ていると実感できるものが根底にあります。それぞれの場所で、流れる時間が全く違うような気がします。土地の歌によって、その場所をお客様に感じとっていただけるものと信じています。
東京の人気のコースの説明の中で決まったパートがあったとしても、そこにガイドの歌が入ると、もっと感じとってもらえると思います。そんな時は、本当にガイドをやっていてよかったと思います。
また、歌で、時代を振り返ることもできます。その時の歌を歌って、その時代に戻ることができます。1つのフレーズから時代を感じ取っていただけると嬉しいです。
■バスガイドの知識の土台は、日本の文化と自然
●遠藤さん
はとバスのバスガイドが学ぶ「東京」の教本は300ページほどのもので、毎年1月頃に必ず改訂しています。このほかに、「挨拶」「余話」「年中行事」などの教本や、時節に合わせて毎月プリントを配っています。また、実際に仕事をするようになってからは、毎日必ず見る「掲示板」で、さまざまな情報を伝えるようにしています。
バスガイドの知識の土台となるのは「日本の文化」ですから、季節ごとの年中行事を把握しておくことが大切です。これに「日本の自然」も加えて、学んでいくことが求められます。他にもさまざま資料を読んで、知識を広めていくことが大切です。
映画のシナリオのような教本には、自ら学んださまざまな知識や情報が書き込まれている。
観光・旅行雑誌や毎日見る掲示板もガイドには大切な情報源だ。
■バスガイドデビュー当時の失敗
- はとバスオリジナルのバスガイド教本。新人とはいえ
約2ヵ月でこれらの資料を丸暗記しなければならい - ぶ厚い教本のほかにも、さまざまな資料で
多くの知識を吸収する必要がある
●工藤さん
バスの乗務が終わると、終着場所から電車を使って「寮」まで帰ることになります。ところがまだ東京の路線にも慣れていなかったので、いつもの駅ではなく、寮に近いはずのモノレールの駅でおりたところ、結局1時間以上も迷ってしまって、最後は歩けなくなって、電話をして先輩に迎えに来てもらい、持っていた荷物もしょってもらって帰りました。
●遠藤さん
バスガイドにデビューしてすぐの時に、上野のコースの業務についていました。ところが、お客様は母子の方2人きりだったので、東京駅で他のコースと合流することになりました。バスガイドになりたてでしたから、なんとか説明を聞いてもらいたいと一生懸命に話しかけました。もちろん、そのおふたりも真剣に聞こうとしてくれたのですが、ちょうどお昼の時で、乗り継ぎの駅につくまでにお弁当をひろげて食べてしまおうとしていたのです。ところが、私の説明を聞こうとしてくれたために、東京駅についた時には、結局そのお弁当が残ってしまっていました。私が無理に話しかけたり、説明をしなければ、そのままお弁当を食べ終わって、手軽に合流することができたはずです。
■つらい時にも、楽しみを見つけて取り組む
- 教本の中には、日本の四季や自然について
記載されたものがある - 社員どうしのコミュニケーションが図れる
レストルームも充実している。
●工藤さん
私は勤続18年目で、いまは班長をやっています。バスガイドには班が20ありますが、それぞれ1~2名の指導ガイドと、7~8名のバスガイドがいます。
私は6年目でトレーナーコースという指導者になる道に進んで、班長になりました。
バスガイドになりたての頃は、とにかく必死でした。覚えたての基礎知識だけでなく、新しく覚えなければならないことが次々に入ってくるので必死だった思いがあります。とにかくつらい中でも、何かしら楽しみをみつけて何とかここまでやってきました。
私の場合、つらい中でみつけた楽しみのひとつというのは、実は「お花」なんです。いまの時期ですと「桜」になりますので、たとえばソメイヨシノの名前は、いまの駒込近辺にあった染井村が発祥の地だった、というように、お客様がご存じないお話で、喜んでいただけることがとても楽しみです。
■はとバス草創期からつながる、はとバスガールの絆
- はとバス関連のグッズや本も人気のアイテムだ
●遠藤さん
この会社に入って、社員からよく耳にすることは、先に入社した者が「先輩面をしない」ということかもしれません。後から入ってきた者が、向こうから話かけやすくする、話しかけられるようにしています。バスガイドは、2〜3年で一人前に仕事をしなければなりません。仕事の悩みもなかなか相談しにくい場合も多いと思います。不安や緊張をほぐすためにも、こちらからできるだけ話しかけるように心がけています。
また、はとバスのツアーの中に「懐古コース」というものがあり、バスガイドのOGが参加して、現役とコラボしたツアーがあります。上は76歳のバスガイドもおります。観光案内をしながら、歌集を配って、17~18曲の懐メロを、お客様と一緒になって歌います。かなりご好評をいただきました。
この会社で育ったガイドは、どんなに月日が経っても、同じベースで苦しんだ者どうし、バスガイドになりたての2~3年目のつらい時期を懐かしく思い出して、その話をすることができます。
■「幸せの黄色いバス」がもたらす希望と絆
- 毎日、その日の状況もふまえながら
複数のコース予定がきっちりと管理されている - 「いわきララみゅう」のある震災後のいわき市小名浜港。
はとバスは地元の方々の期待と夢を乗せて走り続ける
●工藤さん
はとバスのコースは、北は岩手から南は兵庫まで、ガイドしています。大震災に見舞われた大船戸にも昨年の4月~6月にガイドに行きました。被災地では、地震や津波の話を地元の方にも聞いたりしますので、その話をそのままお客様にもいたします。
福島県のいわき市にも行きますが、市内の道も、地震でうねって大変でした。小名浜の港のあたり2~3キロまでは壊滅的で、市場のあった場所が壊されていたり、人気コースにある「いわきララみゅう」でも、1階の市場が津波の被害を受けて、コースの途中でお昼を食べる場所だったところもなくなっていたり、人気のアクアマリンも、向かう途中の道がずれてしまって通れなかったり、水族館の入口や駐車場も陥没してしまっていました。館長さんがいつも話をしてくださった場所が瓦礫になってしまったので、水族館の外に「瓦礫ステージ」を作っていただいて、そこでいつものように話をしてくださいました。それは本当に衝撃的な光景でした。
●遠藤さん
いわきでは、こんな嬉しい話もありました。震災後に10数台のバスを連ねて、いわきへのツアーを再開しました。その時、地元の方が、「黄色いバスがもどってきてくれた!」と、はとバスの乗務員の一人に声をかけてくださったそうです。はとバスの観光コースにいわきが戻ったということを喜んでくださって、バスの写真をとっていただいたそうです。「もどってきてくれた」という一言が本当に嬉しかったといいます。だから被災地のために本当に何かをしたい思っている、とその乗務員が語ってくれました。その話を聞いたときは、本当に自分のことのように嬉しく思いました。
■これからバスガイドになる皆様へ
●工藤さん
初めの頃は、覚えることも多く、つらいこともたくさんあると思いますが、とにかくその中でも自分なりの楽しみを見つけて、がんばって欲しいです。
●遠藤さん
バスガイドになろうとした理由のひとつは、当時、女性が自立してできる仕事が少なかった中で、誇りをもってできる仕事だと思ったからです。優しさの中にも強さをもった、日本の女性としてのさまざまな美しさや品格が、このバスガイドという仕事にはあると信じています。これからも、日本人の女性らしさというものを大切にして欲しいと思います。
インタビュー後記
戦後間もなく運行を開始した当時、平和のシンボルの鳩をモチーフにしたマークが描かれていたという「はとバス」。その当時の想いがそのまま綿々と続く企業風土や、仕事を通して培った日本人の女性としてその美しさや品格をそのまま受け継ぐ「はとバスガール」の存在が、深く印象に残るインタビューとなりました。出産などで一度現場を離れてもまた同じ職場に復帰したり、母子で同じはとバスのバスガイドになった方や、祖母から代々はとバスで働くご家族もいらっしゃるという話を聞くと、さらにその想いを強くします。今年も4月25日に、新人の「はとバスガール」たちが緊張しながら車窓観光の現場に立ったそうです。これからも、日本ならではのバス観光の在り方の見本となり、職業人として、また「やまとなでしこ」としての誇りを大切に受け継いで欲しいものです。
遠藤はな子(えんどう はなこ)プロフィール
これまで育てあげたバスガイドは1200人以上というバスガイドの教育指導の責任者。運輸部ガイド課・インストラクター。
工藤美保(くどう みほ)プロフィール
勤続18年目で班長を勤め、新人教育を行うトレーナーとして活躍中。2012年2月には旅行新聞新社主催「第10回優秀バスガイド」のひとりとして表彰された。運輸部ガイド課・班長兼トレーナー。